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保育の特色
保育室に設置してあるコーナーから自分で遊びを選び、継続して遊ぶ中で自ら考えて行動する力を育てていきます。
異年齢交流を通して、人と関わる力を育てていきます。
給食のお手伝いやクッキング活動を通して、食への興味、関心、意欲を育てています。 -
百年のあゆみ
信愛保育園は、1914年(大正3年)8月.京都市初の保育園として、開設されました。
創立者園部マキは、キリスト教主義の同志社女学校卒業後に米国に留学して看護師と助産師資格を取得し、西陣の自宅で看護塾を開いていましたが、不景気の折りに困窮していた5人の幼い子どもと病気の母親をお世話したことをキッカケに、保育園事業を始めました。
当時は、福祉法の整備や財政面の制度等は何もありませんでしたが、キリスト教の精神を基盤とした、あたたかい家庭のような保育を目指して始めた保育園は多くの協力者の支援を得て、新しい木造園舎を建設し、当時珍しいサンルームなど乳児室が増築されました。 第一次大戦後の経済恐慌により物価は高騰し、三度の食事も出来ない家庭が多くありましたが、保育園では、創立当初から完全給食を実施していました。
1934年(昭和9年)には、母子心中が新聞紙面を賑わした事がきっかけとなり、母子寮(希望寮)を創設しました。生活苦のために赤ん坊をおんぶして疎水に飛び込んだ母子が入寮者の第一号でした。
太平洋戦争が激化すると、近隣の保育園や幼稚園、学校は疎開を始めました。
母子寮は強制疎開に遭い寮舎のほとんどを失いましたが、保育園はこの地に残り、疎開のできない子ども達、母子家庭や戦争犠牲者の子ども達とともに1日も休園せずに保育を続けました。
戦後の復興とともに働く母親が増え、乳児保育と学童保育の要望が強まったことを受け、1967年(昭和42年)新しい乳児室(現在の乳児棟)を増築、1971年(昭和46年)母子寮を閉鎖した跡に、学童保育所「信愛こども家」を始めました。
やがて、大正時代からの趣のあった木造園舎は、老朽化したため、1978年(昭和53年)新園舎を建設しました。
その後も耐震工事をはじめ、適宜修繕工事を重ねて、今日に至っています。