特徴
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設立の経過
昭和47年、小栗栖・日向団地の住民で「保育園を作る会」が作られ、この会を中心に3年間に及ぶ住民の粘り強い運動によって建設された保育園です。京都市や府との交渉、賃金の調達、土地の借り入れ、そして園舎の設計から園の名称まで専門家の知恵を借りながらすべて住民が作ってきたものです。住民と一口に言ってもその大半は20代後半の若いお母さんたちです。当時のお母さんたちのパワーとエネルギーはたいしたものでした。くりのみは、この住民運動によって作られたことを誇りにしています。ですから、当時の住民の願いを今に活かし、子どもと働くものの権利を守り、平和と民主主義を愛し、みんなが幸せになる要としての役割を果たしたいと思っています。