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見守る保育
ひと昔前、地域にはガキ大将と共に異年齢の子ども同士のコミュニティーがありました。しかし地域社会が希薄となる中で、何でもが危ないと大人が入り過ぎ、子ども同士の育ち合いがなくなりつつあります。また少子化が進む家庭では、時間に追われる生活の中で両親からの干渉を強く受け、子ども達が失敗から自分で何かを学び取ることが少なくなってきています。
さらに日本の保育園、幼稚園では集団生活を送るための「統制」が何よりも重要な課題になってしまい、一方的に大人が管理し、大人に言われたことさえ出来ればよいと、集団一斉の画一的な保育で時間に追われ、無理やり教え込んだり、やらせるものになりがちな傾向がありました。
家庭でも園でも地域でも、大人たちの干渉を受けすぎる現代の少子化社会。子ども達自身の生きる力、自己肯定感や自主性や協調性、意欲といったものが育ちにくい社会になってきていると思います。そんな中で現在では、自分が嫌い、自立できない、やりたいことが無い、集中できない、人とうまく関れない、といった子ども達の姿が浮かび上がってきています。
この数十年間で日本の子ども達が育つ環境は激変しました。そこでこの環境の変化に合わせて当園では、保育内容を見直し、異年齢の取り組みに力を入れ、環境を整えながら大人が手を出し過ぎない「見守る保育」を意識して取り入れています。子ども達自らが興味や関心をもって自主的、意欲的に関ることのできる発達課題に合った環境を用意し、見守りながら子ども達の育とうという力を信じます。
選択や順序選択などによる、自主性を重んじる仕組み作りや、子ども達の育ちを見極め、それに適した環境を整備すること。人数や年齢の組み合わせを目的に適するように変化させること。子ども達の自発的な働きかけを待つこと。時には子ども本人が困る仕組みを設けること。保育士は影のディレクターに出来るだけ徹し、子ども同士の関わり合いを重視すること。放任ではなく、危険から守るなど手を出す部分はしっかりと出すこと。 私たち職員が子どもの多様性を個別に尊重できる保育の願いを持ち、また大人の想いを込めた見守ることができる環境を用意する中で、今、当園の保育が<画一と受身>の「やってあげる保育」から<創造と参加と個別>の「見守る保育」へと、大きく変化を遂げつつあります。将来、生きる意欲に溢れ、自ら問題を解決し、お互いに違いを認め合い、助け合うことができる自立した人に育って欲しいという願いを込め、楽しく豊かな1日を、子ども達自身の手で作り上げていくお手伝いができたらと考えます。 -
自然体験
日本では半世紀前、子ども達は地域の豊かな自然の中で育っていました。親の忙しい時、自然が大人に代わって子どもを育ててきたといっても過言ではないでしょう。そして、そこには大人に邪魔されない、自分たちで作り上げる子ども達の世界があったのです。しかしほんの半世紀の間に都心部では乳幼児が日常的に入り込める自然は殆どなくなってしまいました。
チョウやトンボを捕まえたことがないと答えた子どもは、昭和59年では4.1%だったのに対し、平成12年では25.3%に増加しています。また約半数の子どもは日の出、日の入りを見たことがないと回答しています。 (斉藤哲瑯「子どもたちの生活状況や自然・生活体験等に関する調査(一都五県の 小中学生を対象(2000年)より
近年、自然と子ども達との距離は広がり、またその傾向はどんどん加速してきています。そして、自然体験や生活体験といった五感を使った実体験に変わって、テレビやゲームなどの手軽な疑似体験や間接体験が増えてきています。小中学生の8割以上が、主な遊び場は自宅と答え、ほっとできる場所はコンビニやゲームセンターだと言う現代社会。この子たちが10年、20年先に、故郷や自然を思い浮かべるとき、どんな物が頭に思い浮かぶのでしょうか?人としての大切な何かが音をたてて崩れていっている様な気がします。
ヨーロッパでは「自然は子ども達にとって最大の教師である」という言葉があります。そしてその言葉通り、近年盛んになってきた脳科学の分野でも、乳幼児期に自然の中で遊ぶことの重要性が証明され始めました。季節のうつろい、命の輝き、生き物の不思議さを肌で感じながら、夢中になって遊ぶことは、脳の様々な部位をまんべんなく刺激し、五感を発達させ、豊かな感性や創造力、運動能力、感情の安定などをもたらし、健全な心と身体の発育を効果的に促すことが分かってきたと言われています。さらに文部科学省がとった統計では「自然体験をしている子どもほど、正義感・道徳観が養われている傾向が高い」といった調査結果もあり、欧米では非行を防ぐ取り組みとしても、自然体験は注目されているそうです。
当園では「どんぐり山」の環境を活かし、半世紀前にあった子ども達の育ち合い場、「大人に邪魔されすぎない、自分たちで作り上げる子ども達の世界」を取り戻していけたらと考えています。そして本人が自然体験の中から失敗を通して多くの教訓を学んでいって欲しいと願います。五感を使った実体験を通して感じることを喜び合い、そこから生じる「何でだろう?知りたい!やってみたい!」という意欲や、命を大切にできる心を育んでいけたらと思います。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない
――レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」より -
仏教保育
毎朝、ほんの1分にも満たない時間ですが、心を静かにして仏様(のの様)へのお勤めをしています。また食事の際に「いただきます」としっかりと手を合わせること。時にお寺の本堂へお供え物を持って行くこと。どれも、忙しい現代社会では失われつつある光景なのかもしれません。
それは忘れられつつある仏様やご先祖様、そして生きとし生けるものへの感謝の気持ち、敬意の念。「自分ひとりで生きているのではない、私たちは皆から生かされているのだ。」という謙虚な気持ちを再認識するとても大切な一時です。
環境問題がとり立たされる中、特にこれからの時代、私たち人間にとって生命の循環についての認識を前提とした「共生」(自然、生き物、人間同士)という概念は、とても重要な課題となっていくでしょう。消費社会の中で自己の欲望が肥大化し、他との共生が難しくなっている社会の様子が、縮図となって子どもたちにも現れてきています。犯罪の低年齢化。不登校や引きこもりの問題。「今がよければそれで良い」「自分さえよければそれで良い」という利己的な考えが、様々な問題を生み、住みにくい世の中を作っています。
そこで園生活では子どもたちと共に信頼関係をしっかりと築き、共同生活の中で苦楽を共にしながら互いに感謝の気持ちを持ち合い、助け合い生きていくこと、自分も相手も良い気持ちになる方法を学んでいきたいと考えます。